2011年12月3日土曜日

025 / 391 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

10点満点で、9点。

久しぶりに書く。本を読んでいなかったわけではないけれど、この間に電験三種を受けたり、試験前後に39度超えの熱を出して寝込んでいたり、試験終了後現実逃避にじゃりン子チエを全巻読みふけったりして、多分3ヶ月で10冊程度しか読んでないと思う。

その中で、圧倒的な存在感を放つこの本。2段組で700ページ弱、普通の単行本なら3~4冊分の分量。厚さにして4cm程度。存在感も重厚なら、内容も素晴らしい。木村政彦という稀代の柔道家、武道家の生涯を、丁寧に追いかけている。その筆致は師匠である牛島辰熊の生涯も描き、そして弟子の岩釣兼生が逝去するまで追いかけている。

社会人の常識として抑えておきたい所ではあるが、木村政彦とは「木村の前に木村なく、木村のあとに木村なし」とまで言われた、鬼の柔道家。帯に書いてあるだけでも、15年不敗、13年連続日本一、天覧試合制覇。全盛時を戦争に奪われてしまっているが、それでもろくに練習せずに出場した全日本選手権で優勝。引退後何年も経ち、50歳に手が届こうかという歳でも、各国のオリンピック代表を子供扱いした鬼の柔道家。オリンピック金メダリストのヘーシンクについて聞かれ、「あいつは強い、俺がやっても2分はかかる」と言ってのける男。

ヴァーリ・トゥード最強を誇ったエリオ・グレイシーに土をつけた男。しかしその名声は、たった一度の八百長破り、力道山との試合で地に落ちる。視聴率100%の「巌流島の決戦」で、血だるまにされた姿を全国に放送されたからだ。そして、表舞台からは完全に消えさってしまう。その名前が再び出てくるのは、死後UFCで優勝したホイス・グレイシーが「我々は木村政彦を尊敬している」と発言するまで待たなくてはいけない。

とにかく緻密な取材で、学生時代の戦績や行動、交友関係などつぶさに洗っている。師匠の牛島辰熊が最強を謳われた鬼の柔道家でありながら思想家でもあったのに対し、ヤクザとも平然と付き合う豪放さを見せる木村。木村のことを兄貴分と慕う大山倍達(木村が八百長に乗ったのを悲しみ、疎遠になる)、拓大同窓の塩田剛三との交流など。登場する人物が大物ばかりで、その中でも存在感を放ち続ける鬼。ちなみに、講道館で「鬼」と言われる柔道家は4人。牛島と木村はその中の二人であり、そしてふたりとも講道館の本流ではなかったため、正当に評価されているとは言いがたい。

木村の強さの源泉として、高専柔道について詳細な記述があるのが嬉しい。寝技主体の高専柔道は、講道館とは違う、独自の進化を遂げた柔道。その強さは講道館を圧倒し、講道館ルールから次々と寝技に対する制約が増えていくが、なお勝ち続けた柔道。戦後GHQにより事実上解体されてしまうが、今も七帝柔道として連綿と続き、中井祐樹という逸材を輩出している。

木村が学生時代唯一完敗を喫した相手・阿部謙四郎が植芝盛平の薫陶を受けていたり、牛島辰熊が植芝盛平と立ち会わせようとした際に塩田剛三に「植芝という人は塩田の師匠だから、絶対に来るな」と言われていたり、その塩田には腕相撲で負けていたり(ちなみに木村と塩田の体格は比較にならず、身長は30センチも木村のほうが大きい)興味深いエピソードも多い。

そして、憎き敵役・力道山についても、なかなか迫っている。木村ほど丁寧ではないが、力道山という人物がよくわかる(そして、力道山が大嫌いになる)

本書は「真剣勝負であれば、木村は力道山を圧倒したはずだ」という著者の主張を裏付けるために書き始められたが、取材の過程で、そうとも言い切れないことに著者自身が気づき始めている。力道山も確かに一代の英雄であり、そして確かに木村を倒しうる力を持っていたということ。そしてそれに対し木村の衰えは激しく、真剣勝負であっても勝てたか否か怪しいこと。そして、そして、、、

木村政彦という男を軸に、戦前・戦後の格闘界をほぼ網羅した本書は、超一級の資料になりうるものだと思う。真剣に研究するのであれば本書の記述をうのみにするのは危険だが、決して木村贔屓に書いてある本ではなく、かなり信用できる内容だと思う。

今年一番、いやここ数年で一番の良書だと思う。
武道、格闘技、プロレスに興味がない向きには、手にとっても面白さは半減以下だと思うけれど。


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