10点満点で、7点。
また間隔を開けてしまったなあ。。。
書き続けるのって大変ね。習慣化しないと、読むだけ読んでレビューをアップしようとした本ばかり溜まっていく。
今では「外務省のラスプーチン」よりも「知の怪人」という通り名のほうが有名じゃないかと感じる佐藤優氏と、灘高の生徒が対談した記録。生徒は事前に著書を読み込んだ上で対談に臨んでいるようだが、話している内容のなんとレベルが高いことか。佐藤氏がしきりに語っているが、「偏差値の上位0.1%」になると、高校生でこのレベルなのかと愕然とする。学力、知識ではない。知性、教養の問題。大学生はおろか、社会人でも彼らと対等のレベルで話ができる人って、ほとんどいないのではないだろうか。
(当然俺など箸にも棒にもかからない)
ただ、恐らく対談相手が灘高生だから意図的にやっている部分もあるのだろうが、佐藤氏の話し方が鼻につくところがやたらあるのがすっきりしない。知識をひけらかすというか、「俺はこれだけ知った上で話しているのだ、知らないやつは黙っていろ」というスタンスが露骨に見える。もちろん議論の前提となる知識は必要だろうが、知識を持っていても考え方が間違っている、あるいは誤った結論に到達するやつはたくさんいる。反対に、少ない情報からでも正しい結論に到達できるやつもたくさんいる。膨大な知識を持った専門家だけに物事を任せるとどうなるか、日本は特定アジアとの外交で思い知っているはずだ。ある程度の足切りは必要だろうが、議論のテーブルにつくハードルを上げすぎるのではなく、正しい結論を導くための知性が重要だと思う。
佐藤氏の主張を読む限り、「物事を判断するには、前提として膨大な知識を持つことが必要。そのレベルにないやつは黙っていろ」「知識を持っていてもそれを活用できないやつがたくさんいる。そういうやつに重要な判断を任せるな」「君たちエリートは、正しい知識と判断力を身につけて、衆愚を導くべし」と言っているように思える。「衆愚が安心して任せるに足るエリートたれ」と。それも一つの考え方だろうが、切り捨てられる衆愚の側としては、はいそうですかと頷きかねるなあ。
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