2018年12月27日木曜日

024 / 479 この闇と光

10点満点で、7点。

ビブリオバトルで紹介された本。「何を言ってもネタバレになるんだけど、でもこの作品を埋もれさせる訳にはいかない!」とかいう帯がついていたそうで、紹介された方もそんなことを熱弁していたため手に取ったもの。
今まで読んだことがないジャンルの本で、新鮮な驚きがあった。

事実上軟禁されている盲目の姫レイアが、心優しい父と、身の回りの世話をしながらも恐怖と憎悪を与えてくる使用人ダフネの間で少しずつ成長し、父との平穏な日を望む。しかしその日は訪れることなく、ある日音を立てて崩れ落ちる・・・

と、ここから物語は急展開を見せる。読みながら違和感を感じていたところが伏線だったと気づき、話がどう収束するのかとヤキモキさせ、そして余韻を残す終わり方。凄い!と素直に思ったが、この手の本を読み慣れている人には、展開もオチも読めてしまうようで、amazonのレビューは決して良くない。まあ、俺でも違和感を覚えるくらいだから、わかる人にはわかっちゃうんだろうなあ。

途中から、これはミステリーだったのか!と気づいて驚いたが、よく見たら単行本のカバーにはちゃんと「本格ミステリー」って書いてあった。

文庫kindle

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2018年12月26日水曜日

私の少年 第25話 砂時計(ネタバレ感想)

【ストーリー】
例によって後日。

【感想・考察】
物語が大きく動くけれど、ちょっとご都合主義がすぎるかなあ・・・というのが第一印象。
まゆが真修祖母と仲良くなっていることについて詳しく描写されているけれど、カラオケでのあの出会い方から、翌日家に遊びに行くまでの関係になるのは流石に不自然すぎる。そもそも真修がまゆとさほど親しいわけでもないのだから。
考えてみたら、4巻までは偶然に頼った展開は殆どない。第1話の出会いは偶然ではあるけれど、そもそもあれがなかったら物語が始まらないのだから別。それ以外は、14話で劇的な再会を果たした以外は、偶然や幸運で片付けられる展開は思いつかない。むしろ詰将棋のように、必然が積み重なって二人の関係が出来上がってきた印象。それが19話以降は、聡子が階段を駆け下りるハメになるのも、新宿でばったり会うのも、まゆが真修祖母と会うのも、仲良くなるのも、全部都合の良すぎる偶然。なんというか、物語が薄くなってきている気がする。

聡子が「やらなきゃいけないこと」と言っていたことが明らかにされた。真修をネグレクトの環境から救い出すことだと言っているが、これはどこまで本心なのだろうか。


もちろんそういう気持ちは強く持っているのだろうが、それが第一だとすると、19話で東京に帰ってくると宣言したときの笑顔が説明つかない。多分これは後付けの理由で、自分自身をその理由で納得させようとしているのではないかなあ。
腕のあざを気にしているけれど、多分これは視野が狭くなってしまっていて、気になったことが悪い方にしか見えなくなっているのだと思う。もちろん本当に虐待を疑うのであれば、子どもから感じるサインは悲観的に受け止めるのが大原則なのだけれど、聡子はとにかく真修のマイナス面ばかりを見ている気がする。23話で銭湯に行くときは、真修の真っ直ぐな好意をちゃんと受け止めて回想しているから、やはり意識的にマイナスを注視しているのだろうなあ。

まゆが真修の細かな面にまで気づいていて、聡子より真修に詳しいんじゃないかと言ったときに本気で張り合っているのは、誰よりも真修のことを考えてきたと無意識にでも自負しているからなんだろう。その根本は母性なのか恋愛感情なのかはわからないけれど、少なくとも真修のことをずっと考えてきたのに、他の人物に真修を語られたくないと感じているのだろうな。


真修の家庭環境を見て、「今見えているものだけで安心しちゃダメだ」と思い直しているのは、視野狭窄のなせる技ではないかなあ。2年前に真修を救うのに失敗したと思っているのだろうが、それは自分の見立てが悪かったわけではなくて、真修父との対応、関係づくりに失敗したから。多分それは聡子自身もわかっている。それなのにネグレクトに意識が向くのは、「真修を救う」という大義名分がなくなってしまえば、真修と関わる理由がなくなってしまうと感じているのだろう。なくなってしまうというよりも、むしろ2年前の出来事を考えれば、真修の元から去らなければいけないはずだから。


そして真修祖母に、現状を問う覚悟を決めた聡子。自分と真修の関係をどう説明し、何をどう聞こうとしているのかが気になるけれど、その後どうするのだろう。

真修祖母が、荒れた家庭を見ていた場合、聡子の感情を理解して味方になってくれる可能性はある。だがその際、「真修のことを心配してくれてありがとう、これからも親しくしてあげてください」と言われたら、聡子はどうするのだろうか。祖母が安心できる人物だと感じた場合、聡子の理屈では、これ以上真修に関わる理由が失われてしまう。真修から離れるべき理由は残ったまま。多分物語の展開としては、これで改めて自分の感情と正面から向き合うことになり、自分自身が真修といっしょにいたいのだ、と気づく(というか、認める)事になりそう。それから真修を恋愛対象として意識した上で、では年齢歳による社会的ハードルをどう乗り越えるのか、という展開になるんだろう。もちろん祖母だって、真修が聡子のことを恋愛対象と捉えているなんて思っていないだろうから、祖母との関係を作り直す必要もある。一番素直な読み。

真修祖母の対応は変わらないが、聡子は祖母のことを安心できる人物と思えなかったか、あるいは信用しきれなかった場合。これは難しい。色んな人との関係が、悪い方に向かっていく。祖母とは微妙に距離を置くだろうから祖母から不信感を寄せられることになり、真修と関わることも難しくなる。真修は相変わらず(まゆの助言もあって)グイグイ押してくるだろうし、今と同じように中途半端な接し方でもだもだしていくのだろう。現在までの展開だと一番自然な進み方だろうけれど、話としては3巻から立ち込めた暗雲が一向に晴れない、すっきりしない展開。

真修祖母が聡子のことを警戒すべき人物だと受け止めた場合。これはキツイ。どう転んでも、明るい展開にはならない。
聡子が真修祖母を、安心できる人物だと感じたならば、聡子はもう離れていくしかない。今後描かれるのは、真修との別れにしかならない。
聡子も真修祖母に対して警戒感を緩めることができなかったならば、もうどうなっていくのか想像もできない。祖母に警戒されたらまゆだって真修に近づきにくくなるだろうし、聡子にできることが思いつかない。聡子が何をしても空回りだろうから、何をしても誰にとっても不幸な展開になるとしか思えない。

ということで、一読者としては、素直に聡子が恋愛感情に向き合う展開を期待。
この作品、年の差恋愛物だと受け止めて読んでいるわけではないのだけれど、でも剥き身の感情を描くと自然にそうなるべきだと思う。そうなれば、次は真修14歳、聡子33歳という年齢から、性欲をどうするかという大問題が出てくるのだけれど、多分それは描かれないかなあ。

さて、本編では久しぶりに菜緒が登場。2年前の出来事をしっかり覚えていたり、真修に恋する存在だということをアピールされているけれど、いやもう個人的にはどうでもいいです。
ただでさえ聡子と真修の間には高いハードルがたくさんあるので、これ以上邪魔しないでください・・・
もちろんそういう人物が存在するほうが自然なんだけれど、でも多分真修が聡子以外の女性に目移りすることはないから、だとするとどうやっても単に真修と聡子の関係を邪魔する存在としてしか描かれなくなってしまう。それはそれで不幸だし。

25話が収録されているヤングマガジンはこちら。

2018年12月8日土曜日

023 / 478 わけあって絶滅しました

10点満点で、6点。

絶滅した生き物について、その理由を面白おかしく紹介した本。
極端な説明が多いから、まあ笑いながら話半分に読むべき本だろう。絶滅したという事実から、極端な進化の弊害を取り上げているが、なぜそういう進化をしたのかということには殆ど触れられていない。まあ人間に狩られてしまったとか、他の生物の台頭により生息場所を奪われてしまったとか、そういう理由もあるけれど。最後の方には絶滅を免れた生物も取り上げられていて、これはこれで面白い。

絶滅の理由を楽しむより、「こんな変な生物もいたのか」と楽しむべきかな。イラストも面白いし、漢字に全部ふりがなが振ってあるから、子ども向けの本かもしれない。
あぁ、地球ってせちがらい。

単行本kindle

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022 / 477 ケンカ十段と呼ばれた男 芦原英幸

10点満点で、7点。

芦原会館の創始者、芦原英幸の伝記といっていいのかな。著者は芦原の弟子なので、中立を意識しつつもかなり芦原視点の内容ではあるが、単純に面白い。
生い立ちから大山空手との出会い、稽古、ケンカによる処分、四国行き、破門、その後・・・と、どこから見ても波乱万丈。そこかしこで喧嘩を売って回ったり、決して褒められた人物ではないが、魅力的に思えるのは著者の筆力か、それとも芦原の人物のなせる技か。大山との確執も、その最初期における道場内での孤立から触れられていて、興味深い。

「ケンカ十段」の異名は「空手バカ一代」で梶原一騎がつけたもので、もともとは安田英治のことだった・・・とwikipediaで読んだ知識でそう思っていたのだが、本書によるともともと芦原のことらしい。それが梶原が芦原を嫌いだしてから、あれは別人のことだと言い出したのだとか。どこまで本当なのかわからないけれど、その真偽はどうでもいいと感じさせるくらい、本当に強い人物だった、というのは読み取れる。

本書もそうだし、他の極真関係の本を読んでいて思うけれど、大山倍達が人格者だと描かれている作品(フィクション、ノンフィクション問わず)は無理があると感じる。強さに疑問を感じたことはないけれど、人物としては決して尊敬に値するものではない気がする。弟子のことは捨て駒のように扱うし、陰湿なこともたくさんしている。生前も死後も、多くの弟子が極真を離れて自分の流派を立ち上げてしまった一因が本書からも読み取れる。もちろんそのぶん、多くの弟子が一流一派を立ち上げるほど、強くなっていったということなのだけれど。極真本部の会議で芦原の破門が決まったときも、今までは増長した芦原を大山が切り捨てた、というイメージで捉えていたのだが、本書を読むと印象がまるで変わってくる。両者とも鬼籍に入ってしまったから、本当のところはどうだったのかもうわからないけれど(当時を知る関係者だって、立場ごとの偏見はあるだろうし)、芦原がただの喧嘩屋でなかったことだけはよく分かる。

反面、正道会館のことが殆ど書かれていないのは残念。芦原側から見ると許しがたい存在であっておかしくないのだが、大人の事情で触れられないのかな。

見る機会はあったはずの人物なのに、一度も目にすることがなかったのがただただ残念。



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