10点満点で、8点。
「死の淵を見た男」の著者が、朝日新聞の捏造(本書では「誤報」と言っているが、どう見ても捏造だ)に真っ向から挑んだ本。福島第一原発の故吉田所長に長時間インタビューをした他、百人単位の人物に実名証言を求めてルポルタージュを書き上げた著者から見て、朝日新聞の報道はひと目でおかしいとわかったらしい。その内容への驚きと、自らが集めた情報との乖離を挙げ、疑問点をつぶさに記述している。そして著者も吉田調書を入手したあと、細かな検証をして、いかに朝日の報道が異常であるかを明らかにしている。
本書に限らず、吉田調書について検証した新聞や雑誌、書籍を見る限り、朝日の報道は誤報のレベルを遥かに超えていて、捏造というほかない。本書は「朝日の報道のどこが誤報か」をメインテーマにしているが、個人的にもはやそこは一顧だにする価値はないように思う。(記者あるいは当該メディアにとっての)真実を報道する、という基本を逸脱して、明白な捏造を日常として行っているのだから、朝日新聞をメディアとして扱うほうが間違っている。むしろ「なぜ今でもメディアの顔をしていられるのか」「なぜ反日なのか」を取り上げるべきだとは思うが、まあ本書は著者の立ち位置(真実を伝えるジャーナリスト)もあるから、それには踏み込んでいない。踏み込んでほしいけれど。
「死の淵を見た男」では語られなかった部分について、吉田調書からの情報で補足された部分も多く、読み応えはある。そして何より、著者は吉田昌郎という人物を心から尊敬しているのだということが伝わってくる。
しかし、吉田氏が「10mを超える津波の可能性を握りつぶし、対策を怠った」と評価されることについて真っ向から反論し、「むしろ彼ほど真剣に津波について考えていた人物はいない」という評価をしているのはどうかと思う。例えば、仮に15mの津波に耐える防波堤を建設したとして、原発は守れてもそのエネルギーは周囲を襲うことになるがそれで良いのか、という主張がある。「だからもっと根拠を明確にして、必要性を吟味すべき」というスタンスだったのだが、それならば「仮に15mを超える津波が来た場合どういう被害が起こりうるのか」というケーススタディをしていれば、全電源喪失という事態は防げたのかもしれない。もちろん後知恵の話なのだが、原発安全神話の根幹をなしていた「想定外の事態についてもなお備えているから大丈夫」という主張がことごとく、津波の高さ一つで崩れてしまった現実を考えると、なぜ津波だけは「津波が防げなかったら」という想定がされなかったのかと思う。それに対する回答は、本書にはない。
にほんブログ村書評・レビューランキング
0 件のコメント:
コメントを投稿