2009年7月13日月曜日

151 / 195 なぜ君は絶望と闘えたのか

10点満点で、9点。

活性化(普通に読んだ)・・・1時間半程度

光市母子殺害事件。残忍な犯行ながら犯人が18歳ということもあり、死刑判決が出るか否かで日本中が注目した事件。一審二審ともに無期懲役の判決となり、最高裁で審理差し戻し、再審で死刑判決が出た事件。最高裁で審理差し戻しの決定が出た当時、mixiの日記で「最高裁は責任を持って判断しろ」と書いた記憶がある。

本書は遺族である本村洋氏に近い立場から書かれたものだから、客観性に疑いがあることは承知の上で、本書を読む限り司法のいびつさ、人権派弁護士の醜悪さが浮き出ている。法律は誰のためにあるのか、加害者と被害者のいずれを守るべきか、という問題が、遺族の戦いを通じて描き出されている。

司法の醜悪さについては、観る人によって感想が違うだろうから、触れない。ただ、一審の判決が出たときに「控訴も上告も望まない。被告が出獄したとき、自分の手で殺す」と言い切った本村氏に、「これが判例になってはいけない、辛いとは思うが、司法を変えるために闘おう」と言った検察に、幾ばくかの救いを感じた。

人権派弁護士の醜悪さについては、ここに書くまでもなく、少し調べればいくらでも事例は出てくる。いずれも共通するのは、人権とは「加害者の人権」であって、「被害者の人権」は存在しないことになっているという態度。本書でも、弁護士たちは「手弁当で参集」と書いてあるが、俺から見ると「自分たちの主義主張のために事件を利用する醜悪な連中」にしか見えないが、これはあくまで個人的な感想。

本書でもっとも秀逸な、社会に救いを見せてくれる箇所は、本村氏の勤務する新日鐵の工場長が、辞職を申し出た本村氏を諭す場面だろう。「君は、社会人として闘ってくれ」と。
言わんとする意味は複数あるのだろうが、俺自身が何を読み取れたかは正直よくわからない。ただひたすら感動した。こういう上司に恵まれたいし、人の上に立つことがあれば、こういう人物でありたいものだ。



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