2009年1月26日月曜日

017 / 061 私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した

10点満点で、7点。

準備、予習、フォトリーディング、調査・・・10分程度
通常読書・・・2時間程度

高速リーディング向きの本だが、フォトリーディングの効果で謳っているとおり「まるで映画を見ているような臨場感」で読めてしまったら、それはそれで嫌な本なので、普通に読んだ。

冒頭に「戦争という性質上、事実認識についても、さまざまな見解が存在するが、本書では、アメリカ人である著者の見方を尊重し、原書に忠実に翻訳した」とある。確かにその通り、胸くその悪くなることが山のように書いてある。

著者は、タイトルの通り広島と長崎への原爆投下作戦両方に参加した人物。長崎では作戦隊長を務めている。
読書前の目標設定では、「原爆投下作戦に参加した人物が当時何を考え、そして今何を考えているのかを知る」ことにした。それは、悲しくて悔しくて、怒りを覚えるくらいよく伝わってきた。

著者のスタンスは明快。アメリカは100%の正義。日本は100%の悪。戦闘で米兵(戦闘員だ)に死傷者が出ることは許し難い蛮行だが、原爆投下により民間人(当然非戦闘員だ)の死傷者が出たことは「必要なこと」だと。当時の日本の指導者たちが、度重なる空襲を受けても継戦意欲を失わず、また広島と長崎に原爆を落とされた後でもなお降伏に反対する勢力がいたことを考えると、原爆投下そのものはやむを得ない選択だったと、俺自身も思う。しかし、著者たちは「苦渋の選択」ではなく、「悪の大日本帝国を抹消するため」に戦っていたのだ、原爆投下はそのために必要な手段に過ぎなかった、というスタンスを取っているように思える。

著者の日本に対する認識は無理解と偏見に満ちあふれており、戦後日本が侵略行為への謝罪をしておらず、まるで被害者である振りをしていると再三主張している。南京では30万人を虐殺し、バタアンでは残虐な死の行進を強要し、そして捕虜にはもれなく拷問と人体実験、虐殺が待ち受けていた、と。それらすべてが虚構であるとは言わないが、少なくとも事実関係に不明点があり、確定情報として公式に認められていないことを事実であるかのように言い張るそのスタンスは、嫌悪感を否めない。当事者として戦争を戦った人物としてはそれを事実だと信じているのだろうし、そういうプロパガンダもあったのだろうが。

著者は最後に

「当時私は戦争の残虐性について、苦しんだのが自国の人間であろうと他国の人間であろうと決して誇りや快感を感じたわけではなく、それは今でも変わらない。すべての命はかけがえのないものであるからだ」

と書いている。しかし、広島に原爆が投下されたとき、乗員はどう感じていたか。著者はこう書いている。少し長くなるが、引用。

「ルイスはイーザリーと同じく、原爆投下作戦と実際に飛んだ人々を取り巻く、有名な伝説を作り上げた一人であった。私の知る限りでは、第三九三戦隊において自分勝手な言動で歴史の記録をゆがめようとした隊員は、彼ら二人だけだった。戦後のある時期、ルイスは広島上空で爆発を目撃した直後に、航空日誌に「あーあ、おれたちはなんてことをしてしまったんだろう!」と書いたことを報告し、マスコミの注目を集めた。ポール・ティベッツの副操縦士の口から発せられた、反省と悔恨のこもった劇的な言葉だ。だがあいにく事実はそうではなかった。そんな言葉はあまりにボブ・ルイスに似つかわしくないというだけではなく、実際その時、彼は正反対のことを口走ったのだ。操縦室にいた乗務員の面々が耳にし、後に私が何度も聞かされたのは、「あーあ、見ろよあのくそったれな町が吹っ飛んだぜ!」だった。彼が実際、日誌に書き込んだのは「あーあ」だけであった。私が直接言えることは、帰還後ルイスは他の誰にも劣らず、作戦の成功に喜びと興奮をあらわにしていたということだ。疑いや後悔の言葉は聞かれなかった。我々は任務を遂行したのだ。」

あえてコメントしないが、ここに著者の思想、人間性が出ている気がする。

しかし思想信条はともかく、当時作戦に関わった人たちが何を考えていたのか、これはよく伝わってくる本だった。なので、胸くそ悪い内容だが、7点。



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