活性化(普通に読んだ)・・・2時間半
うーん・・・やはり、フォトリーディングの効果が出ている気がしない。意識してスキタリングなり高速リーディングなりをしなければ駄目なのだが、こういう本はどうしても普通に読んでしまう。目的が「情報収集」ではなくて「楽しむ読書」だから仕方ないとは思うのだが。
著者は、あさま山荘事件で事実上指揮を執った佐々淳行氏。当事者の目から事件の実録を記述している。純粋に事件を追ったノンフィクションとして、殉職した機動隊員他事件の犠牲者には申し訳ないが、興味深く読めた。
興味深い点は多々あるが、当時の時代背景、そして現在でも存在する一部左派の思考について、象徴的な箇所を長文ではあるが2カ所引用する。
あの頃は警察官の家族であるというだけで小学校などで日教組の教師から不当な差別をうけるという、今日の若い人たちには想像もできないようなイデオロギー優先の時代だった。
私が警視庁の警備第一課長で、東大安田講堂事件だの全共闘の街頭ゲバ闘争の警備などに寧日ない、いわゆる第二次反安保闘争はなやかなりしころ、ある日次男の敏行が区立の中丸小学校から泣きべそをかきながら帰ってきた。
聞けば担任のSという女教師に授業中に「このクラスの子でお父さんが警察官と自衛官の子供は立ちなさい」と言われ、次男が他の警察官や自衛官の子供たちと顔を見合わせながら立つと、S教師は「この子たちのお父さんは悪い人たちです。あんたたちは立っていなさい」といわれゆえなく立たされたというのである。
世田谷の三宿に陸上自衛隊駐屯地があるところから、警察官と自衛官の子供は結構何人かいたようだ。親の職業で子供を差別して悪いこともしていないのに立たせるとは何事かと激怒した私は、早速校長先生に抗議した。校長は「日教組には私も困らされています。ですが相手が悪い。また子供さんにはね返ってもいけないから」と言を左右にして一向に煮え切らない。
「では教育委員会に公立小学校における親の職業による差別として正式に提訴しますから」と告げると、これはいけないと思ったのか、校長はS教師を家庭訪問の形でさし向けてきた。
S教師は「ベトナム戦争はけしからん、自民党政権は軍国主義復活を目指している。機動隊は学生に暴力をふるう権力の暴力装置だ」などと日教組の教条主義的な公式論をまくしたてる。
一通り言わせておいてから「私の言っているのはベトナム戦争や全共闘のことではない。貴女は親の職業で罪のない子供を立たせるという体罰を加えたようだが、小学校教師としてそれでいいのかと尋ねているんです。反省しないなら私は教育委員会に提訴するつもりです」という。
S教師はヒステリーを起こして「やるならやって御覧なさい。日教組の組織をあげて闘いますよ」と叫ぶ。
「どうぞ。私もあなたを免職させるまで徹底的にやりますよ。ではお引き取りください」と突っ放す。
すると免職という言葉にイデオロギーが負けたのか、突然S教師はフロアに土下座して「どうぞ許してください。教師をやめさせられたら暮らしていけませんので」と哀願しはじめた。
こんな教師に指導された子供が、まともに育つとは思えない・・・今の教育崩壊は、こういう連中が作り出した面はかなり大きいんじゃないか。
連合赤軍の「あさま山荘事件」を支持したのはモップル社だけではなかった。
三月一日夜、日比谷野外音楽堂で開かれた「三・一朝鮮独立五十三周年日韓条約粉砕、入管法・外国人学校法案国会上程阻止蹶起集会」に出席したオールド・ボルシェヴィキ、日本社会党の高津正道元代議士は、
「連合赤軍はわずか五人で千四百人の警官隊を相手によく戦った。今や社会主義運動は言葉だけでなくなった。私は五十年もの間この日が来ることを首を長くして待っていた。これで革命も間もないことだろう」と激越なアジ演説を行い、参加した六百人から大喝采を浴びていた。
元代議士が、こんな凶悪な殺人犯を公式の場で支持しているなんて、正直なところ信じられない。しかし恐ろしい現実だが、こういう思想を持った人物が、今でも代議士や参議院議員として社民党や民主党などの一部に存在する。
「君がどれだけ民主主義を批判し、言論の自由を批判しても、君がその発言をする自由だけは命がけで守る。それが民主主義であり言論の自由だ」
こういう言葉をどこかで見かけたことがあるが、正直ここまで異常な連中が実在することを考えると、そして実際に無差別殺人などの凶悪犯罪を繰り返していたことを考えると、民主主義とは本当にいいものか疑問になってくる。
確かチャーチルの言葉だったか、「民主主義は最悪の政治体制だ。もっと最悪なのは、これでも一番ましな政治体制だということだ」とか、そんなのを思い出した。
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