2009年5月24日日曜日

113 / 157 散るぞ悲しき

10点満点で、8点。

活性化(普通に読んだ)・・・2時間程度

太平洋戦争最大にして最悪の激戦地、硫黄島の総司令官・栗林忠道中将が出した手紙や電報から、硫黄島の激戦を振り返っている。東条英機から「アッツ島のように戦ってくれ」と、最初から勝つことを期待されず、ただひたすら米軍を足止めするよう宿命づけられた防衛隊。誰もが行きたがらず、栗林のみが愚直に命令に従ったようだ。

本土への空襲を防ぐため、一日でも長く戦い続けることを宿命づけられた栗林は、部下に玉砕を禁じ、どんなに苦しくなっても生きて戦い抜けと指示する。それは自身の最後も、司令官として通常あるべき陣中での切腹ではなく、部下とともに突撃をかけた(バンザイアタックではない)ことで迎えることにも現れている。

米軍から「5日で落ちる」と見積もられていた硫黄島で組織的には36日、個々の兵士としては戦後数年も戦い続けた奮闘ぶりは、アメリカでもっとも尊敬された日本人将校として記憶され、また捕虜が「カミカゼ・ソルジャーとイオージマ・ソルジャーは特別だ」と言われた、そのことからも伝わっている。

その栗林は、前線にあって留守宅の隙間風を気にし、塞ぎ方をわざわざ図解入りで手紙にしたためている。家族の平穏を守るため戦い抜き、「届いた頃には死んでいるかもしれないから、一切の差し入れは不要」と言い切った男の矜恃を感じるのは俺だけだろうか。著者は、その戦いぶりから家庭的な面を伺わせる手紙をしたためていることは興味深いと感じているようだが、俺には逆に、常に自分が守るべき対象を頭から離さなかった、その現れだと思う。

その栗林が最後に出した電文は内容が改変され、辞世の句までが修正されてしまっている。陸軍と海軍の縄張り争いを戒めた文章は、現在の戦史叢書からも削除されてしまっている。日本は、祖国のために散っていった英霊たちの思いを、まだ受け止め切れていない。



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